「ファンキー…ですねぇ」

オリジナル・グノーシスの時代から、その反逆心、批判精神が何を叫んでいたかをせんじつめていえば、
「この時代は嘘だ。心の時代を始めよう。わしらは心であり、霊魂なのだ。」ということだろう。


以下は先週の金曜日の夜明けに書いたものです。一週間寝かせました。それは「最後から二番目の恋」の第9話(傑作!)を視聴した方がそれぞれ考えたりすることを評論家ぶって阻害したくなかったということもあるし、この作品が喚起してくれる感興を自分自身大切にしたかったというのもあります。



まさか自分がこの方について書くとは思ってもみなかった。そんな部分、含みます。

最後から二番目の恋」の9話目を観た。これで7〜9話の三回を観たことになる(あ 5話も観てることも今思い出した)。
今回は敬称略で書きます。

このドラマは、やはり中井貴一が出演していた「ふぞろいの林檎たち(1983年〜)」や、後に触れる「金曜日の妻たちへ」といった、(自分が大嫌いだった)かつてのトレンディ・ドラマへのオマージュのようだ、と先週書いた。終わりいく大量消費の時代への、鎮魂の捧げもの。実は95年に中井貴一小泉今日子は同じ脚本家の作品で共演している。視聴率を見るとかなりヒットしたらしいが、自分はまったく記憶にない。なのでそれについては触れない。
もう一人の主人公、小泉今日子演じる「千明」はテレビ局勤務で、まさにドラマ制作のプロデューサーという役回りだ。

物語は佳境に入り、いつも口げんかばかりだった中井演じる「和平」と「千明」、いよいよ互いを恋の相手として意識するようになって行くようです。
オープニングとエンディング、テンポ、センス、よいですね。


ところで、初めて観たときから気になっていたのが主題歌だ。
バブル崩壊後の叶わぬ消費の夢とそれによって擦り切れてしまった大衆の心を、あの頃大量に引き受けたジャパニーズ・ポップイコン、浜崎あゆみが主題歌に起用されている。
この曲「How Beautiful You Are」の歌い出しはピアノの伴奏もあいまって、ドラマ「金妻」(調べてみると「金妻」第1シーズンの舞台のひとつは鎌倉だ)の主題歌「恋におちて」に少し似ている。ものすごく流行ったからこの曲は憶えている。だが、実はこの2曲は対称的だ。
不倫をテーマにした「金妻」の主題歌はやっぱりそれ風で、秘密を抱えた切なさとそんな自分へのナルシズムと慰めが、修飾的な歌詞によってこれでもかと表現されているよう。その切なさはエロスと表裏一体だ。この作詞はまさに素晴らしいプロの仕事!完成度が高い。そして、あの時代ってまだまだ余裕あったんだな、と感じる。ドリーミー。今の世の中と比べて、「悪いことばかりじゃなくドリーミー」だったのかな。(自分、オルタナと呼ばれて、バブルや主流文化に入れない人だったんで、よく知らないんですけどもね。) かつてバブルの頃、仕事の酒の席でカラオケでこの曲を歌う人の様子を見ていても、辛い状況に酔いしれているような、そういう感じに同調しているように見えていました。
かたや「How Beautiful You Are」の方は、(ワンコーラスのみ聴いた限りだが)もはや男女の性別を超えた普遍的な愛、身近な大切な誰かへの感謝、そしてごく普通でささやかだけれど特別な一回きりの人生をおくる「あなた」を、たどたどしくも讃える歌詞だ。心だけでよって立つような凛々しさを意識しているように感じる。よりシンプルだ。
わたしは浜崎あゆみという人の歌を意識的に聴いたことは、ほとんどないと思う。有名な曲なら昔、街角の店やふいにつけたテレビから流れて来たのを、聴いたことがあるかも知れない。その程度の認識だし、 J ポップそのものに(トレンディ・ドラマに対するのと同様に)むしろ否定的だったので本当によく知らないのだ。でもこの曲の良さはわかるよ。

高度成長期を経てバブル経済、その破綻。失われた10年、株や FX 大流行り。自殺者の増加。今はまさかの、大自然と連動するように暴れ爆発した原発、という状態。その間に経験された「物質や肉体の快楽こそが人生の最大の目的」とでもいうような態度、それが最終的に惹起する痛々しさを今日本国民が体験するのは、歴史的にいって必然性がやはりあったのではないか。それは奇跡の復興を果たした敗戦国の子孫たちがたどる道として、あり得ることなのでしょう(あり得ることなのだから、必要以上に落ち込むこともないのだろうけど、被害の規模が規模ですから、もっともっとたくさんの善意の手当てがあるとよいですよね。そしてやっぱりこんなことは起こらない方が良いですよ)。
3・11以後特に感じるのだけど、こうした物質主義の徹底がむしろ逆のものをもたらすように思える。心の時代がいよいよ始まるのではないだろうか。
そしてこういうときにいつだって注意しなければならないのは、変なやつらの台頭だ。(〜大幅に中略〜 またあらためて)あと、日本はもっと寄付の文化が育つと良いですよね。公的な制度にしなくても、民間人が自分が出来る人助けをどんどんするような社会は、まさに楽園になり得るのではないでしょうか。そこにはルサンチマン(あらゆる恨みつらみ)がつけ込んで来るスキが、基本ありません。

ここから今週に戻ります。やはり第9話、ひとつのピークでしたね。来週第11話で最終回です。あと3,4話はあってもっともっと切なくなっていくのかな、とも思っていたのですが、どうも脚本の感じだと極端な不幸は起きないみたいだけど…どうだろう。
まりこ「最悪だと見せかけてフェイクだという事もあるから注意が必要です」
和平「人生はそんなドラマみたいにはいかないんだよ」
スタッフが深い階層まで考えて注ぎ込んでいるのがわかります。
余韻を残して終わるのでしょうか。(創作された)「彼ら」がどういう風に私たちの前から去っていくのか、注視したいと思います。
それにしてもこのお兄ちゃん、最高。



3 /17 以下の文などを加筆(&修正)しました。
失われた10年、株や FX 大流行り。自殺者の増加。今はまさかの、大自然と連動するように暴れ爆発した原発、という状態。その間に経験された「物質や肉体の快楽こそが人生の最大の目的」とでもいうような態度」「そしてこういうときにいつだって注意しなければならないのは、変なやつらの台頭だ。(〜大幅に中略〜 またあらためて)あと、日本はもっと寄付の文化が育つと良いですよね。公的な制度にしなくても、民間人が自分が出来る人助けをどんどんするような社会は、まさに楽園になり得るのではないでしょうか。そこにはルサンチマン(あらゆる恨みつらみ)がつけ込んで来るスキが、基本ありません。」「どうも脚本の感じだと極端な不幸は起きないみたいだけど…どうだろう。」