Robyn三昧

(このエントリーは文学です。)

このところ、ひと月くらいか、ロビン・ヒッチコック(Robyn Hitchcock)ばかり聴きかえしていた。
ライヴはSXSWとかでもかぶりつきで見てたし、日本のライヴにも足を運んでいたが、
アルバムをとっかえひっかえたっぷり聴いたのはひさしぶり。
いい。
愛を浴びる。そして踊ってしまう、歌ってしまう。泣いてしまう。

ロビン・ファンでインタビューもしている友人の音楽ライターの清水さんがイギリスから里帰りしていたというのも聴き返しのきっかけだったのかな。

それとも...
去年亡くなった父の霊と真っ昼間のコス島で、2時間弱ほど会見した今年の7月のことを考えていたからか。
彼はギリシャの観光用ミニトレイン(お猿の電車みたいなやつ。脳天気)に乗ってきて
ミニトレインで去っていった。気温40度くらいなのに、
冬にいつもかぶっていたお気に入りの帽子をかぶっていた。
(一瞬それが見えた。半透明で現れこちらに存在を認識させると透明になった。)
彼とはけっこういろんなことを話した。母の声を聞きたがった。
いまこの話を書いているところなのね。
なんだか自分の曲の印象に近いようなエピソードだけども。
気味の悪いくらい不思議で、自分にとってはどう考えても奇跡のような、
今思い出しても全身に震えが来て、涙が出そうになる、そんな旅だった。
この感触がまたロビンぽいのだな。
この会見のあと、トルコ側のボドルムへ帰るフェリー乗り場で、上品なイギリス婦人に話かけられた。
息子さんと旅をしているそうだ。
カフェやミニトレインで涙を流しながら、一心不乱にノートをとっては顔を起こし、
前のほうを薄目やドングリまなこで見つめるぼくにどうやら興味を持ったらしい。
すごく親切で「体、だいじょうぶ? わたしも毎年のようにこっちに来てるけどやっぱりこの暑さはこたえるわ。」
そしてパスポート・コントロールのところでMissing Personの貼り紙を指さし、
「彼女! 彼女はわたしの近所に住んでる子なのよ。突然消えてしまったの。おそろしいことだわ。許されないことよ」と叫んだ。

ぼくは、「カフェに座って父と話していたなんて言えないな、こんな唐突に」と思った。
おかしなやつだと思われるかな。すごく若く思われてるのかな。
でもこの人ならわかってくれそうだな。でも自分がまた泣いてしまうな。
ものの見方がまるで変わってしまうようなこの体験をメロドラマにしたくはないな。
そんな風に感じながら、さっきカフェに座っていたときに、
彼が海と通りを眺めながら言った
「きれいなところだね。」という、
生前の父には時々しかなかった、
冷静な、憑きものの落ちたような、話し相手と完全に調和のとれている
声なき声を
ぼくは思い出していた。