個人主義と介護について

<以下はネタバレしてますので映画未見の方は注意してください>

映画『最強のふたり Intouchables』でのフィリップの誕生会のシーンの終わり、ベッドに入るフィリップにドリスが封筒を持ち出す。フィリップの文通相手の女性から来た、彼女の写真入りの手紙。不安と期待を抱いて心待ちにしていたものだ。「届いていたんだが、一日の終わりまで待っていたんだ」とブランケットの上、フィリップの胸のあたりにドリスは手紙を置く。「やっぱり最初はあんたが開けなきゃな」と気を使っている演技で、ドリスはさっさと自室に戻ろうとする。フィリップは首から下が麻痺しているので自分では開封はおろか、胸の上に置かれた手紙を持ち上げることも出来ない。その様子に思わず吹き出すフィリップ。「おいおい、この状況でまたギャグをたたみかけるのか」って感じで、目を細めた良い笑顔。すぐにドリスはベッドサイドに戻ってきて「やっぱり俺が開けた方が早そうだ」。
このシーンが頭から離れず気になっていた。
これってただのギャグではなく、円熟した個人主義が備えている良い面が表現されているんだと、今朝、寝起きに気づいた。
ギャグではあるけれど、そこにはフィリップという個人への敬意が表現されているのだ。
フィリップにとっての「大事な手紙」なのだから、まずはフィリップに手渡して、フィリップが開封すべきなのだ。障害者であることを湿っぽく意識させず、あくまでも対等な個人として接すること。そういう挑戦にドリスはさも当たり前のように挑んでいく。「フィリップが自分で手紙を開封出来ないことをネガティブに意識させずに、フィリップに来た手紙だからまずフィリップに渡す >> そうやって一旦手渡したものを代理として「友人」の自分が開封する」。このために必要な動作と言葉がまことによいテンポで行われたのだ。そこには友情とユーモアがあり、生きる喜びがある。
なんてスマートなんだ! なんて優しいんだろう!

またこうしたことはこの二人の組み合わせの良さから生起したのであり、まさに「最強のふたり」。この邦題、成功してますよね。

この映画、ヨーロッパ各国などで大ヒット。フランスでは異例の大ヒットで3人に1人が観たという。こういうところがフランス(やヨーロッパ)の良さなんだと思う。子どもを育てるなら日本よりだんぜんフランスという人たちの気持ちがわかる。

この映画は見直す度に発見がある。新たな魅力に出会う。こういう作品ならセル版を買ってもよいなと思う。

ドリス役のオマール・シー Omar Sy の出演しているジャン・ピエール・ジュネ監督作『ミックマック』と、フィリップ役のフランソワ・クリュゼ François Cluzet 出演作『歌え!ジャニス・ジョプリンのように Janis et John』も借りてきた。